蘇州の物語

 紀元前770年から221年までは、中国の歴史ではいわゆる春秋戦国時代です。当時の中国では7つの大きい国ができました。その7カ国同士は、時には戦いあったり、時には同盟を組んで第3の国と戦います。しかも、そのような敵対関係も同盟関係も常に変わります。とても「賑やかな」時代でした。



 春秋戦国時代の七国とは、秦、斉、燕、魯、晋、楚、呉、越です。春秋の末期には、「呉」と「越」という二つの国が強くなり、お互い盟主を争いあう時期に入りました。その呉国は、今の蘇州あたりです。呉国の都として蘇州城が築かれたのは、この時代の紀元前514です。呉国は軍師の孫武(孫子兵法の作者)と大臣の伍子胥を使って、楚国(現在湖北省あたり)と戦って5戦全勝で非常に強かったです。

 紀元前494年、呉国の2代目の国王・夫差は隣の越国(現在浙江省・紹興)に戦勝し、その国王・勾践を虜にして牢屋に入れてしまいました。越の国王にとってそれは大変な恥じとなって復讐を暗に誓いました。臥薪嘗胆で十数年をかけて力を蓄えて、紀元前473年に呉国と再び戦ってとうとう呉国を滅ぼしてしまいました。臥薪嘗胆という四文字熟語はまさしく越の国王の辛抱強さを言っているわけです。

 成語(四文字熟語のこと)の殆どに謂れがありますが、春秋戦国時代からきたものも数多くあります。「呉越同舟」というのも、またこの呉の国と越の国が他の国の脅威にさらされている時期に、運命を共有し、お互い仲良くしようというものです。

 孫子の兵法もこの時代でできましたが、絶世の美女・西施もまたこの時代に生まれ、この呉と越の争いに深く関わりました。負けた越の国王が後に使った計略の一つは「美人の計」で、西施を呉の国王にプレゼントしたわけです。今の蘇州でも虎丘や霊岩山などで西施のあとが残っています。
HOME